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2014.06.09

第5回コスモワークティーチャーによる ありがたい講座

本日第5回目は

加藤先生です。

テーマは 【清水湊(みなと)と次郎長】


約30年ほど前、加藤先生がまだ、保険業界に入りたての研修生だったころ

親睦会の場で自己紹介がわりに【旅姿三人男】を歌い

きまってあだ名は 清水の兄貴 でした

次郎長をこよなく愛する加藤先生の知られざる 次郎長 の逸話を聞かせて頂きました。

まず、次郎長親分は

ただの博打うちの無法者の親分ではなく 

江戸末期から明治にかけての激動の時代にあわせ

自分自身で考え、行動し、多くの人々に評価をされた人物であった。

その逸話のいくつかを簡単に紹介します。

15歳のとき義母のへそくり(150両=1,000万)をくすねて 米相場で商才を発揮し
450両にしてしまった

23歳にして大きな問屋を営んでいたが、すべての財を譲り、無宿人として
博打と修行の旅にでてしまった。

29歳無法の者たちの親分として清水を拠点にくらす。
戦のイロハを心得、武装集団として、活躍

咸臨丸事件で人心をつかむ(官軍も賊軍も死ねば皆仏)

明治になり 流通の要である清水湊の警察的役割を担う

諸外国との貿易に先んじて清水港へと進化させることを提唱し、尽力した。

横浜から講師を招き、英語塾を開いた。




破天荒な行動にも驚くが

地元 清水の発展を願い、実行しつづけた人物だった。



発展の一例として

塾生の一人はハワイに移住し、成功をおさめている。
また、アメリカへの出稼ぎに行く人も増え

加藤先生の祖父もそのうちの一人として アメリカの牧場で働き

三保で牧場を開き、牛乳販売を手がけられました。


次郎長こと、

山本長五郎 さんの生き様と今も直語り継がれる理由

愛される理由を加藤先生に教えて頂きました。

本日はありがとうございました。


【】の歌はディック・ミネがヒットを飛ばした歌謡曲。登場する3人の男は、清水次郎長の子分の大政、小政、森の石松で、この三人三様の人物を通し男の心意気を歌ったものである。ディック・ミネは昭和9年(1934)に[ダイナ]でデビューしたジャズ歌手で、その後たて続けにヒット曲をだし、1000曲以上をリリース、平成3年(1991)6月1日に他界。

【湊】とは 整備されていない天然の地形をいかした ミナトのことである。